毎週日曜日、楽しみに見ている「べらぼう」も残すところあと1カ月半。
ありがた山の寒がらす
これしか中橋
かたじけ茄(なすび)
など、毎回かわされる江戸の言葉遊びが何とも楽しく、そして懐かしく。
今でもポピュラーなものとして、
その手は桑名の焼きはまぐり
恐れ入谷の鬼子母神
等の地名シリーズ。
桑名駅を電車で通り過ぎる時や、雑司ヶ谷の鬼子母神の近くを
通る際(入谷鬼子母神には行ったこと無し)等に思い出して、
必ず芝居がかかった口調で発音してしまいます(笑)
東京下町の親戚の家に行くと、昔はこういう会話が普通にされていて、
ちょっと乱暴な感じが怖くもあり、かっこよくもありで、
大人になったら自分で言ってみたい、と思ったものでした。
親戚の家の近くでお使いの買い物に行こうものなら、
すみま千円、亀は万年
とんでもはっぷん、歩いて十分
おっと合点承知の助
あたりき車力のこんこんちき
どうぞ叶えて暮れの鐘
などなど、本来一言で済む用件を、
一言では絶対に済まさない商店街のおじさん、おばさんたちが
たくさんいてほんとに楽しかった。
懐かしい記憶はここから来てるのだと思います。
我が一族では、「行ったら手ぶらで帰ってくるな、出たなら帰りは一つ仕事して帰ってこい」
という教えがあったので、お使いの帰りには残ったお釣りのうち10円をお地蔵さんやお稲荷さんにお供えする、
とか、そんなことを普通にやっていました。
ちなみに、「べらぼう」という言葉の当時の私の認識は、
「役立たず」という意味と「とんでもねぇこと、奴」など。
多様な意味で使われていたので、文脈から読み取るしかなく・・・
難しい言葉だったと記憶しています。









